
人事予算の「使いきり」から「投資対効果の説明」へ——経営を動かす予算提案
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人事予算の「使いきり」から「投資対効果の説明」へ——経営を動かす予算提案
「今年度も人事予算を使いきりました」と報告して、なんとなく達成感があった——でも、経営陣の反応が薄かった経験、ありませんか。
人事予算の使い方と説明の仕方は、人事部門が経営からどう見られるかを大きく左右します。予算を「使う部門」から「投資する部門」へと変わるために、何が必要か。この記事では、経営を動かす人事予算提案の考え方を一緒に整理していきたいと思います。
なぜ人事予算は「わかりにくい」のか
経営会議で「研修費500万円を確保したい」と提案したとき、CFOから「それで何が変わるんですか?」と聞き返された——という経験をした人事担当者の方は多いのではないでしょうか。
人事の施策は、その効果が数字に現れるまでに時間がかかります。採用費を投じて採用した人材が成果を出すまでには数ヶ月〜数年かかり、研修投資がパフォーマンス向上として現れるのも同様です。「今年500万円使ったから今年の利益が500万円増えた」という単純な構造ではないので、経営者に説明しにくいのは確かです。
しかし、だからといって「人事への投資は長期的なものなので数字では測れません」と言い続けていると、予算承認のたびに苦労することになります。
人事予算の説明が難しい背景には、主に3つの要因があります。
1. 効果の時間軸が長い:採用や育成の成果は翌期以降に現れることが多く、当期の財務指標との紐付けが難しい。
2. 因果関係が複合的:離職率が下がったとして、それが研修のおかげなのか、報酬改定のおかげなのか、上司が替わったからなのか、切り分けが難しい。
3. 比較対象がない:「採用に1,000万円かけた」ことが高いのか安いのかを判断するベンチマークを持っていない会社が多い。
この3つを理解した上で、「だから数字で説明できない」ではなく「だからこそ、説明の仕方を工夫する」方向に舵を切ることが、経営参画への第一歩だと思っています。
「使いきり予算」から抜け出すための発想転換
人事予算が「使いきり」になりがちな理由のひとつは、予算の組み方自体にあります。
「昨年度実績+物価上昇分」という積み上げ方式で予算を作っていると、何のために何にいくら使うかという思考がすっぽり抜け落ちます。結果として、使いきることが目的になり、「3月に残予算で研修を詰め込む」というパターンが生まれます。
ある中堅メーカーの人事部長の方が、こんな話をしてくれました。「以前は研修費の消化率を毎月チェックしていました。でもある年、消化率100%だったのに離職率が過去最高になって、気づいたんです。使いきることと、効果があることは別だと」。
この気づきから、その方の部門では予算の組み方を変えました。「何のためにこれにいくら使うか」を明示し、「この施策によって何がどう変わるかを翌期に確認する」というサイクルを作ったのです。
発想転換のポイントは、予算を「コスト」ではなく「投資」として語ることです。
投資として語るには、リターンの仮説が必要です。「採用コストに300万円かけることで、年収350万円×3名を採用できる。3名分の生産性が上がることで、四半期で○○円の売上増を見込む」という構造で考えられると、経営との会話が変わります。
投資対効果を語るための3つの軸
人事施策のROIを語るとき、私が使いやすいと思っている軸は「売上伸長・コスト削減・リスク低減」の3つです。
軸1:売上伸長への貢献
採用・育成への投資が、どう売上に結びつくかを説明します。「営業人材を採用することで、1人あたり月次売上○○円の増加を見込む。3名採用すれば年○○円の売上増」という計算です。
この計算をするためには、「1人あたりの生産性」「採用ペース」「採用から戦力化までの時間」という3つの数字を把握する必要があります。これらの数字を持っているかどうかが、経営と対等に話せるかどうかを左右します。
軸2:コスト削減への貢献
人事コストの中で最もインパクトが大きいのは、離職関連コストです。
「1名が離職するとかかるコスト」を試算したことはありますか?採用コスト(求人広告・エージェント費用)+引き継ぎ期間中の生産性低下コスト+新入社員が戦力化するまでの育成コスト、これらを合計すると、中途採用一人当たりで年収の0.5〜1.5倍程度かかるという試算があります。
年収500万円の社員が5名離職したとして、1人あたり500万円のコストがかかると仮定すれば、年間2,500万円。エンゲージメント施策に100万円かけて離職を1名防げれば、ROIは25倍になる計算です。
この試算の精度は企業によって異なりますが、「離職コストはこれくらいあります」と数字を持って話すことで、経営の受け取り方が変わります。
軸3:リスク低減への貢献
労務リスク・コンプライアンスリスクへの対処も、投資として語れます。「ハラスメント研修を実施しなかった場合、訴訟リスク・レピュテーションリスクがある。研修費○○万円はそのリスクに対する保険的投資」という説明です。
リスク低減の投資は、「何も起きなければ無駄になる」と見えることもありますが、「何も起きていないのはリスク管理が機能しているから」という見方もあります。この点を経営に説明できるかどうかが重要です。
経営に通じる予算提案書の構成
実際の予算提案書に落とし込むとき、以下の構成を意識すると経営への説明がしやすくなります。
1. 課題認識(現状の何が問題か)
「現在、離職率がXX%で推移しており、業界平均を○%上回っています。離職1名あたりのコストを試算すると約○○万円。今年度は○名の離職があり、トータルで約○○万円のコストが発生しています」
という形で、今何が起きているかを数字で示します。
2. 投資仮説(何にいくら投資して、何が変わるか)
「エンゲージメント施策(サーベイ実施+管理職向けフィードバック研修)に○○万円投資することで、エンゲージメントスコアを現在の○点から○点に改善し、離職率を○%低下させることを目指します」
効果の数字は「目標」であり「保証」ではありませんが、仮説を持って投資することが重要です。
3. 測定指標(来期何で効果を確認するか)
「来期の確認指標:エンゲージメントスコア、中途離職率、マネジャー満足度スコア」
何で測るかを事前に決めておくことで、「使ったかどうか」ではなく「効いたかどうか」を翌期に報告できます。
4. 代替案比較(やらなかった場合のコスト)
「この投資をしない場合、現状維持で離職が続くと想定すると、来年度の離職関連コストは○○万円になる見込みです」
「投資するコスト」と「しないことのコスト」を比べることで、投資の意思決定がしやすくなります。
よくある失敗パターンと対処法
失敗①:数字を「盛りすぎる」
「この研修で売上が200%増になります」のような、根拠の薄い数字を使ってしまうと、経営からの信頼を失います。
数字は「この仮定のもとでの試算」として提示し、仮定条件を明示することが大切です。「1人あたり生産性○○万円という弊社実績をベースにすると...」という形で説明できると、信頼性が上がります。
失敗②:「昨年もやったから今年も」という説明
昨年と同じ施策を同じ予算でやることを「継続」と言いますが、効果の検証なしに継続するのは「惰性」です。
「昨年○○万円の研修費を使い、参加者の○○スコアが平均○点上がりました。そのスコアが高い社員群と低い社員群で半年後の離職率を比べると、○%の差がありました」という形で、過去の投資の効果を示せると、継続予算の説得力が増します。
失敗③:「人事のことは人事に任せてほしい」スタンス
経営に口を出されたくない気持ちはわかります。でも、経営が人事に関わろうとするのは、人材への関心があるからです。
「経営者は人事が思っているより、人について真剣に考えている」——これは私が現場で感じてきた実感です。経営を「口を出す敵」ではなく「一緒に考えるパートナー」として巻き込む姿勢が、人事予算の承認をスムーズにします。
小さく始める予算改革
「いきなり予算の組み方を変えるのは難しい」という方も多いと思います。そこで、今すぐできる小さな一歩をご提案します。
Step1: 今年度の主要施策の「効果確認指標」を決める
まず、今年度実施した主要施策(研修・採用・制度改定など)について、「何で効果を測るか」を今から決めます。来年度の予算提案時に、「昨年の施策はこの指標でこれだけ改善しました」と言えるようにするためです。
Step2: 離職コストの試算を一度やってみる
「1名離職したときのコスト」を自社で試算してみます。採用費、引き継ぎ期間、育成コストを大雑把でいいので計算すると、経営への説明材料が一つできます。
Step3: 来年度予算の1施策を「投資提案書」形式で書いてみる
来年度の予算提案書の中の1施策だけ、「課題・投資仮説・測定指標・代替案比較」の形式で書いてみます。全部を変えなくていい。まず1つ。
経営との対話を積み重ねる
「一度の予算提案で経営の見方が変わることは、なかなかありません」というのが現実です。
でも、毎年「昨年の施策はこう機能しました。今年はこの仮説でこれに投資したいです」という対話を積み重ねることで、少しずつ「人事は数字で話せる部門だ」という信頼が積み上がっていきます。
人事の仕事が「何をやっているかわからない」と言われるのは、成果を見えるようにする言語化を、私たちが怠ってきた面もあると思っています。「施策を実施する」ことと「施策の効果を経営に見せる」ことの両方が人事の仕事だと、私は思っています。
おわりに
人事予算の「使いきり」から「投資対効果の説明」への転換は、一夜にして起きるものではありません。でも、今年度の施策の効果確認指標を一つ決めるところから始めれば、それは確実に動き始めます。
「経営数字からの発想×組織状況からの発想=両利きの人事」——この視点を持てる人事担当者が一人でも増えることが、組織を健全に保ち続けることにつながると、私は信じています。
もっと深く「経営と人事の接点」を学びたい方は、人事のプロ実践講座へどうぞ。経営数字と人事施策を繋ぐ実践的な内容を、現場感を持ってお伝えしています。
吉田洋介
人事図書館 代表 / 著書『「人事のプロ」はこう動く』
リクルートマネジメントソリューションズで14年間・500社以上の組織人事コンサルティングに従事。 上海駐在を経て2021年に独立。2024年に人事図書館を設立(会員740名超)。 「すべての組織に人事のプロを」を理念に、経営と現場をつなぐ人事の実践知を発信している。
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