制度設計・運用

スタートアップで人事を任された。最初の1ヶ月で何をするか

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スタートアップで人事を任された。最初の1ヶ月で何をするか

「急成長中のスタートアップで突然人事を担当することになりました。前任者はいない、マニュアルもない、採用を急いでいる、でも何から手をつければいいかまったくわからなくて……正直、パニックになっています」

こんな状況に置かれた人事担当者に、私は何人も出会ってきました。エンジニアやセールスとして入社したのに気づいたら人事を兼務していた。あるいは、「うちの人事担当になってほしい」と言われてスタートアップに転職したけれど、入社してみたら就業規則も採用フローも評価制度も何もなかった。前の会社では大きな人事部門の一員として特定業務を担当していたのに、突然「全部ひとりでやって」という状況になった。

スタートアップで最初に人事機能を担うことになった人が直面する状況は、他のどんな職種の立ち上げとも違う難しさがあります。採用は急いでいる。組織は毎月変わる。経営者はビジョンで動いている。でも人事が整えるべき基盤は、すぐに整うものではない。この「緊急性と重要性のねじれ」の中で、最初に何をするか、何をしないかを判断することが、スタートアップ人事の立ち上げ期における最大の課題です。

この記事では、スタートアップで「はじめての人事担当者」として動き出すとき、具体的に何を考え、何から手をつけるのかを一緒に考えてみたいと思います。大企業の人事部のやり方をそのまま持ち込むのでも、「採用さえできればいい」という短絡的な発想でもない、スタートアップという環境に合った人事の思考と行動について、できる限り具体的にお伝えします。


第1章:スタートアップ人事の特殊性を理解する

ある一人目人事が話してくれました。

あるスタートアップに最初の人事担当者として入社したAさんが話してくれました。

「入社初日に経営者から言われたことが忘れられないんです。『うちは今月3人採用しないといけない。来週には面接入れてほしい』。それだけ言われて、あとは何も。採用チャネルはどこを使えばいいのか、面接は誰がやるのか、採用基準はどうするのか——全部自分で考えてくれ、という感じで。でも採用の仕組みを整えるより先に、就業規則がないことに気づいて。しかも当時すでに社員が13人いた。これ、法的にまずいんじゃないかと思って……」

就業規則は、常時10人以上の労働者を使用する事業場では労働基準法上の作成・届出義務があります。にもかかわらず、スタートアップでは「採用を優先するあまり、労務の整備が追いつかない」という状況が珍しくない。Aさんはその後、就業規則の整備を最優先にしながら、採用活動も並行して進めるという、ものすごいスピードで動き続けることになりました。

こうした経験談を聞くたびに感じるのは、スタートアップ人事の難しさは「やることが多い」という量の問題だけではない、ということです。もっと根本的に、「何を先にやるべきかの判断基準がない状態で、全部が緊急で全部が重要に見える」という状況の難しさがある。

スタートアップ人事が大企業人事と根本的に違う3つのこと

スタートアップで人事を立ち上げる難しさを理解するためには、大企業の人事とどこが根本的に違うのかを整理しておくことが役立ちます。

違い①:「仕組みが存在しない」から始まる

大企業の人事は、すでに存在する仕組みを運用し、改善することが主な仕事です。採用プロセスも、評価制度も、労務管理の手順も、基本的な枠組みは整っている。それに対してスタートアップの一人目人事は、「仕組みが存在しない状態」からすべてを作ることになります。

これは「何もないから自由にできる」という意味では確かにそうですが、実際には「何もないから何から始めるか自分で決めなければいけない」という重さがあります。大企業の人事経験者が「スタートアップに来たらカルチャーショックを受けた」と言う場合、この「判断の起点となる仕組みが何もない」という感覚を指していることが多い。

違い②:「組織の急変」の中で動く

スタートアップは組織が急速に変化します。月に1〜2名入社するだけで、30人の組織が1年で50人になる。チームの構成が変わり、マネージャーが新たに生まれ、役割の境界が揺れ動く。この「動き続ける組織」の中で人事の仕組みを整えることは、走りながら車を修理するようなものです。静止した状態での設計が難しく、常に暫定的な判断が求められます。

違い③:「経営との距離」が近い分、意思決定が複雑になる

スタートアップでは経営者との距離が近い。これは大きなメリットである一方、「経営者が人事に何を期待するかが明文化されていない」という難しさもあります。経営者は「人を採用してくれ」と言っているつもりが、人事担当者は「組織の基盤を整えることも仕事だ」と思っている。このすれ違いが、最初の数ヶ月で大きな摩擦を生むことがある。

スタートアップ急成長期に特有の「人事リスク」

急成長期のスタートアップに特有の人事リスクがあります。これを理解していないと、後で大きなコストを払うことになります。

最初に挙げるべきは「採用ミスマッチの連鎖リスク」です。採用を急ぎすぎて基準が曖昧になると、合わない人材を採用してしまう。スタートアップにおける採用ミスマッチのコストは、単純に「退職後の再採用コスト」だけではありません。在籍中のパフォーマンス低下、チームへの悪影響、マネージャーの時間消費——これらを合計すると、年収の1.5〜2倍以上のコストが発生するという試算もあります。人数が少ないスタートアップほど、一人のミスマッチが組織全体に与える影響は大きい。

次に「労務リスクの蓄積」があります。就業規則の未整備、残業代の不適切処理、社会保険の手続き漏れ——これらは「後でまとめてやればいい」と思われがちですが、在籍人数が増えるほど遡及対応のコストが増大します。スタートアップが急成長の後に資金調達や上場を目指す段階で、労務リスクが発覚すると致命的な問題になることもある。


第2章:よくある失敗パターン

失敗パターン①:「採用だけ」に追われて組織基盤を作れない

スタートアップで最初に人事を担当する人が最もはまりやすいのが、この失敗です。

経営者から「採用をどんどん進めてほしい」と言われる。ビジネスの急成長に追いつくために、人材が必要なのは事実です。だから人事担当者は採用活動に全力を注ぎます。媒体を選び、求人票を書き、面接を調整し、オファーを出す。これを繰り返していると、気づいた頃には「採用はできているが、入社した人が定着しない」という状況になっている。

なぜか。入社した人を迎える側の組織が整っていないからです。

入社オリエンテーションの内容が決まっていない。誰が何をどう教えるかが不明確。評価やフィードバックの仕組みがない。在籍している人のモチベーション管理が手薄になっている。採用だけに集中した結果、「入れても出ていく」サイクルに入ってしまう。

定量的に考えると、この問題の深刻さがよくわかります。採用1名あたりのコスト(媒体費・エージェント費・選考にかかる社内工数)は、スタートアップでも平均100〜150万円程度になることが多い。それだけのコストをかけて採用した人が、6ヶ月で退職するとすれば、採用コストは全損です。さらに再採用のコストもかかる。この「採用コストの無駄な消費」が続くと、限られたリソースで戦うスタートアップには致命的なダメージになります。

採用と定着は一体として考える必要があります。「採用ができた」は完結ではなく、「採用した人が活躍し始めた」が完結です。最初から「採用と組織の両輪」という発想を持てるかどうかが、一人目人事の立ち上げ成功を大きく左右します。

失敗パターン②:「大企業の仕組みをそのままコピー」してしまう

大企業の人事部出身者がスタートアップに来たとき、あるいは人事の本や教科書を参考に仕組みを作ろうとしたとき、「大企業向けに設計された仕組みをそのまま持ち込む」という失敗が起きることがあります。

典型例は「評価制度の過剰設計」です。数十項目にわたる評価シート、MBO(目標管理制度)の複雑な運用プロセス、等級定義書——これらを20〜30人のスタートアップに導入しようとすると、制度の維持管理コストが現場の負担になり、本来の目的である「人の成長と組織の成果への貢献」が損なわれます。

もうひとつ典型的なのは「採用フローの形式化」です。書類選考→一次面接→二次面接→最終面接→オファー、という形式的なフローを作ることには意味があります。しかし、それぞれのフェーズで何を判断するか、誰がどんな視点で見るかが設計されていないと、フローは存在するが実質的な採用の質は上がらない、という状態になる。

スタートアップに必要な仕組みは、「大企業が使っているものの縮小版」ではなく、「今の組織規模・成長速度・文化に合ったもの」です。30人のスタートアップと3,000人の大企業では、同じ「採用管理システム」でも求める機能がまったく違います。シンプルで、現場が使いやすく、拡張性がある——この3条件を満たすものを選ぶ視点が重要です。

「立派な制度を作ること」がゴールではなく、「今の組織が機能し、成長できること」がゴールである。この原則を忘れると、制度の整備に多大なエネルギーをかけながら、現場は誰もその制度を使っていない、という状況になります。

失敗パターン③:「創業者・経営者との認識ズレ」を放置してしまう

スタートアップで人事を立ち上げる際、見落としやすい最大のリスクのひとつが「経営者との役割認識のズレ」です。

経営者が「人事担当者に期待すること」と、人事担当者が「自分の役割だと思っていること」が、最初からずれていることは珍しくありません。経営者は「とにかく採用を回してほしい」と思っている。人事担当者は「組織の基盤を整えることが自分の使命だ」と考えている。どちらも正しい考え方ですが、合意がないまま動き続けると、ある日突然「なんで採用が進んでないんだ」「なんで私がやっていることを評価してくれないんだ」という摩擦が生まれます。

この問題は、スタートアップの経営者が「人事への理解が足りない」という話ではありません。経営者は事業の成長と、それを支える人材の確保に真剣に向き合っています。ただ、「人事が組織にどんな価値をもたらすか」を経営者と人事担当者が共通言語で語れていないことが、すれ違いの根本原因です。

最初に「人事の役割について経営者と合意する」ことに時間と労力をかけることは、決して遠回りではありません。むしろ、これをやらずに動き出すと、何ヶ月も経ってから「こんなはずじゃなかった」という状況になる。その時に修正するコストのほうが、はるかに大きい。


第3章:人事のプロはどうしているか

工夫①:最初の1ヶ月でやること・やらないことの判断基準

スタートアップで人事を立ち上げた経験を持つ人事プロフェッショナルに共通しているのは、「最初の1ヶ月は徹底的にインプットと観察に使う」という姿勢です。

具体的には次のような動き方をしています。

最初の2週間でやること:現状把握と緊急課題の特定

まず「法的リスクの棚卸し」から始めます。就業規則の有無と内容(10人以上なら義務)、社会保険・雇用保険の加入状況、労働条件通知書の交付状況、残業代の計算方法——これらを確認し、法的にすぐ対処が必要なものを特定します。これは後回しにすると取り返しがつかないリスクだからです。

次に「採用の現状把握」をします。今どんな採用活動をしているか、使っている媒体・エージェントとその成果、採用基準はどこまで言語化されているか、面接は誰がどんな観点で行っているか——これらを把握します。

そして「現場のリアルを知る」ために、できる限り多くの社員と1on1の対話をします。今の組織で困っていること、もっとこうだったらいいと思うこと、過去に離職した人についての印象——これらは、人事が次に何をすべきかを考える上での最も貴重な情報源です。

最初の1ヶ月でやらないこと:制度設計と大きな変更

評価制度の設計、等級制度の構築、研修体系の整備——これらは「重要だが緊急ではない」カテゴリです。スタートアップで最初に人事を担う人がよく陥るのは、「何もない状態をなんとかしなければ」という焦りから、まだ組織の実態をよく知らないうちに制度を設計し始めることです。

実態を知らずに設計した制度は、現場に合わない可能性が高い。最初の1ヶ月は、制度を作るのではなく、「どんな制度が必要かを知るための情報収集」に徹することが、結果的に速い。

優先順位の判断基準:「緊急×重要」マトリクスのスタートアップ版

スタートアップ人事における優先順位の判断基準を整理すると次のようになります。

  • 最優先:法的リスクの排除(就業規則・社会保険・労働条件通知書)
  • 急いで着手:採用の仕組みの最小限整備(基準の言語化・面接フローの設計)
  • 1〜3ヶ月以内:オンボーディングの整備、経営者との定期対話の場の設置
  • 3〜6ヶ月以降:評価制度・等級制度の設計、育成施策の立案

この判断基準の背景にある思想は、「今の組織が安全に動き続けられる状態を作ることが最優先であり、それができてから組織をより良くする仕組みを作る」というものです。

工夫②:採用と組織基盤の「両輪」を同時に動かす方法

「採用も進めなければいけない、でも組織の基盤も整えなければいけない。ひとりでは無理だ」——この状況をどう乗り越えるか。

経験豊富な人事プロフェッショナルが実践しているのは、「採用の中に組織基盤の情報を取り込む設計」です。

採用を進めることと組織基盤を整えることは、実はかなりの部分で同時進行できます。採用基準を言語化する作業は、「うちの会社はどんな人材を求めているか」を組織として明確にする作業でもある。求人票を書く作業は、「会社のカルチャーや価値観を言語化する」作業でもある。候補者への会社説明の質を高めることは、「既存社員へのエンゲージメント向上」にもつながる。

具体的な方法として、「採用ペルソナの設計」があります。「どんな人を採用したいか」を言語化するとき、単に「スキルセット」だけでなく、「この会社のフェーズで活躍できる人はどんな人か」「カルチャーフィットの定義」「この役割に求める行動特性」を整理します。この作業を通じて、採用基準と組織が目指す方向性が一致します。

また「入社前後のコミュニケーション設計」も両輪を動かす上で重要です。内定から入社までのコミュニケーション(内定者フォロー)、入社初日〜1週間のオリエンテーション設計、最初の30日・60日・90日のオンボーディング計画——これらを採用と並行して設計することで、「採用の成功」と「定着の向上」を同時に追うことができます。

定量的なモニタリングも「両輪」の観点から設計します。採用コスト(媒体費・エージェント費・社内工数)だけでなく、入社後6ヶ月・1年の定着率、オンボーディング完了率、入社後の早期パフォーマンス到達率——これらを追うことで、採用と定着の両面を数字で管理できるようになります。

スタートアップ人事における採用コストの考え方も重要です。エージェント経由の採用は年収の30〜35%が相場ですが、スカウト媒体や自社採用(ダイレクトリクルーティング)と組み合わせることで、採用単価を大幅に下げられる可能性があります。たとえば、年収500万円のエンジニアをエージェント経由で採用すると150〜175万円のコストが発生しますが、スカウト媒体を活用すれば30〜50万円程度に抑えられる場合もある。一人目人事がリソースを採用チャネルの最適化に使うことは、組織への直接的な財務貢献になります。

工夫③:経営者と「人事の役割」について合意を取る技術

経営者と人事の役割について合意を取ることは、スタートアップ人事の立ち上げ期における最も重要な仕事のひとつです。しかし、「合意を取る」といっても、どうやってするのかが具体的にわからない人も多い。

ここで重要なのは、「経営者に人事の重要性を説く」という姿勢ではなく、「経営者の事業課題を人事の言葉に翻訳する」という姿勢です。

経営者は事業の成長に真剣に向き合っています。「人材が足りなくて事業が伸びない」「優秀な人がやめてしまう」「採用にかけたコストが回収できていない」——これらは人事課題ではなく、経営課題として経営者の頭にある。人事担当者はこれを「人事の問題」に変換するのではなく、「事業成長の文脈で人事がどう貢献できるか」を語れる必要があります。

具体的な合意形成のプロセスとしては、以下のステップが効果的です。

ステップ1:経営者の事業優先順位を理解する

最初のミーティングで、「今後3〜6ヶ月で事業として最も重要なことは何か」を経営者に聞きます。採用を急ぎたいのか、既存チームを強化したいのか、組織文化を定義したいのか——経営者の言葉でこれを理解することが出発点です。

ステップ2:人事課題を経営課題として翻訳する

現状把握で見えてきた人事課題を、「経営への影響」に翻訳します。「就業規則が未整備です」ではなく、「このままだと労働局の調査が入った場合に是正指導を受け、事業継続に支障が出るリスクがあります。早急に整備することをお勧めします」という形で伝えます。

ステップ3:人事の優先課題について合意する

「自分が最初の3ヶ月で取り組む優先課題はこの3つです。これについて経営者のお考えを聞かせてください」という形で、具体的な課題と自分の考えを提示して合意を求めます。このプロセスを経ることで、「経営者が求めることと人事が取り組むことのズレ」を事前に解消できます。

ステップ4:定期的な対話の場を設ける

月に1回、あるいは2週間に1回、経営者と人事課題について話す場を設けます。アジェンダは「採用状況の報告」だけでなく、「組織の健康状態についての情報共有」「次の1ヶ月の優先課題の確認」を含めます。この定期的な対話が、経営と人事の方向性を常にアラインし続けることを可能にします。

経営者との関係構築は、最初の数ヶ月の動き方で大きく変わります。「指示を待つ人事」ではなく、「組織の課題を先読みして提案する人事」として認識されると、経営者からの信頼が生まれ、人事が組織に本当の意味で貢献できる余地が広がります。

工夫④:限られたリソースで最大効果を出す「人事の選択と集中」

スタートアップの一人目人事は、時間もリソースも限られています。「全部やりたい」「全部やらなければいけない」という気持ちはわかりますが、それは現実的ではありません。むしろ、「今は何をやらないかを決める」ことが、最大効果を出すための鍵です。

原則:今の組織が最も必要としているものを見極める

30人のスタートアップと、100人のスケールアップ段階では、「人事が最も貢献できること」が違います。30人の段階では、採用の質と定着率の向上が最大のレバレッジポイントになることが多い。なぜなら、この段階で1名の採用ミスマッチや1名の予期しない退職が、組織全体に与える影響が相対的に大きいからです。

一方、60〜100人に向けて成長しているフェーズでは、マネジメントの仕組み化、評価制度の設計、エンゲージメントの測定と改善が重要になってきます。「今の組織フェーズで最も重要なことは何か」という問いを常に持ちながら動くことが、リソース配分の基本です。

具体的な選択と集中の考え方

「やること」を決める前に、「やらないこと」を決めます。スタートアップ立ち上げ期に「やらない」と決めていいことの例:

  • 複雑な等級制度・評価シートの設計(10〜30人フェーズでは不要なことが多い)
  • 大規模な研修プログラムの企画(小さい組織では個別対応が効果的)
  • 細かい規程類の整備(必要最低限の法令遵守は必須だが、細かい社内規程は後回しでいい)

「やること」に集中するために、外部リソースを積極的に活用します。社労士への労務顧問委託、採用管理ツールの活用、外部採用担当の活用(業務委託採用担当)——これらを使うことで、一人目人事が「人事戦略と組織設計」に集中できる環境を作れます。

数字で選択と集中を判断する

「どこにリソースを集中するか」の判断を、感覚ではなく数字でできるようになることが重要です。採用コストと採用チャネルごとの効果(応募数・書類通過率・内定承諾率・入社後定着率)を測定することで、「どのチャネルが最もROIが高いか」を判断できます。

たとえば、エージェント経由の採用コストが1名150万円で定着率が70%だとすると、実質的な「定着コスト」は150万÷0.7=約214万円です。一方、リファラル採用(社員紹介)のコストが1名30万円で定着率が90%だとすると、実質コストは30万÷0.9=約33万円。この差は非常に大きい。リファラル採用を強化するための施策(紹介インセンティブの設計、紹介を促す社内文化の醸成)にリソースを投じることは、財務的に明確に正当化できます。

人事の選択と集中は、「何を大切にするか」の価値判断ですが、その判断を数字の裏付けとともに経営者に伝えられると、人事の取り組みが経営の意思決定に組み込まれやすくなります。


第4章:明日からできる具体的アクション

アクション①:「人事現状マップ」を1週間で作る

所要時間: 1週間(1日2〜3時間) 必要なもの: ヒアリングする相手のリスト、スプレッドシート、現状の規程・契約書類一式 最初の一歩: 経営者に「人事の現状を把握するため、1週間かけてヒアリングとドキュメント確認をしたいと思います」と伝える

具体的に作るのは次の4つのマップです。

  1. 法的リスクマップ:就業規則・社会保険・労働条件通知書・残業管理の現状と課題
  2. 採用現状マップ:使用チャネル・採用コスト・直近6ヶ月の採用実績・現在の採用基準の有無
  3. 組織現状マップ:社員数・役職・在籍年数・退職者の傾向(いつ・なぜ)
  4. 経営課題マップ:経営者・マネージャーが最も困っていること(ヒアリングで収集)

この「人事現状マップ」は、今後の優先順位を決める根拠になるだけでなく、経営者との最初の本格的な対話の材料にもなります。「現状はこうなっています。この中で最優先にすべきはこれだと思いますが、いかがでしょうか」という会話の起点になります。

アクション②:「採用基準」を1枚にまとめて関係者に共有する

所要時間: 3〜5時間 必要なもの: 経営者・現場マネージャーとのヒアリング時間、A4用紙1枚(またはドキュメント1ページ) 最初の一歩: 経営者に「採用基準を1枚にまとめたいので、30分時間をください」と伝える

採用基準の言語化は、採用の質を上げる最も費用対効果の高い施策のひとつです。「この会社でどんな人が活躍しているか」「カルチャーフィットの定義」「役割ごとに最低限必要なスキル・経験」——これらを1枚にまとめて、採用に関わるすべての人が同じ基準で候補者を評価できる状態を作ります。

完璧な採用基準を作ることが目的ではありません。「今すぐ使える暫定版」を作ることが目的です。使いながら精度を上げていけばいい。大切なのは、採用に関わる全員が「同じ基準で判断している」状態を作ることです。

採用基準が共有されると、面接の質が上がり、採用ミスマッチが減り、採用コストの無駄が減ります。採用基準を持たない状態から持つ状態への移行は、人事立ち上げ初期のコストパフォーマンスが最も高いアクションのひとつです。

アクション③:経営者との「月次人事対話」の場を設定する

所要時間: セッティング自体は30分、継続的に月1〜2時間 必要なもの: 経営者のカレンダーを確認する手段、アジェンダのテンプレート 最初の一歩: 経営者に「人事の取り組みをより事業に貢献させるために、月に1回30〜60分、人事課題について話す時間をいただけますか」と伝える

この「月次人事対話」の目的は、定期報告ではありません。「経営者と人事担当者が、組織の状態と今後の課題について共通認識を持つ」ことが目的です。

アジェンダの構成として、次を参考にしてみてください。

  • 採用進捗の報告(数字で):媒体別応募数・選考中候補者数・内定承諾率
  • 組織の健康状態:入社者の状況・気になるメンバーの状況・離職リスクの有無
  • 今月取り組んでいること・来月の優先課題の確認
  • 経営者からの人事への期待・懸念の共有

この場が定着すると、「経営が人事に何を求めているか」が常に明確になり、「一生懸命やったのに評価されなかった」という摩擦が大幅に減ります。また、経営者から見ても「人事が何をしているかわからない」という不安が消え、人事に対する信頼が醸成されます。

月次対話を始めると、最初の数回は「報告するネタがない」と感じることもあるかもしれません。でも、それ自体が「今の組織で人事が見えていないことがある」というシグナルです。数字で報告できることを増やしていく過程が、人事機能の成熟につながっていきます。


まとめ:スタートアップ人事の最初の一手に「正解」はない

スタートアップで人事を立ち上げる最初の1ヶ月は、「何から始めるか」の判断の連続です。採用を急ぐのか、組織の基盤を整えるのか、経営者との対話に時間を使うのか——すべてが重要に見えるから、どこから手をつければいいかわからなくなる。

この記事でお伝えしてきたことを整理すると、次の3点になります。

まず、現状を把握することに徹する。 入ってすぐに制度を設計しようとするのではなく、最初の2週間は「組織の実態を知ること」に集中します。法的リスクの棚卸し、採用の現状把握、現場の声のヒアリング——これらを通じて、「今の組織に最も必要なこと」が見えてきます。

次に、法的リスクと採用の最小限整備を最優先にする。 やることが多い中で、法的リスクの排除と採用の仕組みの最小限整備は「後回しにしてはいけない」カテゴリです。これらを先に手をつけることで、組織が安全に動き続けられる状態が生まれます。

そして、経営者との対話の場を早期に設ける。 「経営が求めることと人事が取り組むこと」のズレを最小化するために、経営者との定期的な対話の場を早期に設けます。この場があることで、人事の取り組みが経営の意思決定と連動し、「やったけど評価されなかった」という摩擦を防げます。

スタートアップ人事の立ち上げに「唯一の正解」はありません。組織の規模、事業のフェーズ、経営者のタイプ、業種——これらによって、最適解は変わります。大切なのは、「今の組織に最も必要なことは何か」を問い続けながら、動き続けることです。

この記事が、スタートアップで人事を立ち上げようとしている方の、最初の一歩を踏み出す助けになれば嬉しいです。


この記事が参考になったという方は、ぜひ「人事図書館」への入会もご検討ください。

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本記事は書籍『「人事のプロ」はこう動く 事業を伸ばす人事が考えていること』(吉田洋介著)の思想に準拠して執筆しています。

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