
報酬設計の「基本の考え方」を持っていないと、人件費は膨張し続ける
目次
- 報酬設計がなぜ難しいのか
- 「給与を上げれば解決する」わけではない
- 「市場競争力」と「社内公平性」のバランス
- 「制度」と「運用」の両方が必要
- よくある失敗パターン
- 失敗パターン1:人件費の「総額管理」ができていない
- 失敗パターン2:「横並び」の昇給で差がつかない
- 失敗パターン3:「等級制度がないまま報酬を決めている」
- プロの人事はこう考える:報酬設計の基本
- 「役割(ジョブ)」か「人(メンバーシップ)」かを明確にする
- 「市場データ」を持ちながら、「社内公平性」を設計する
- 給与レンジ(バンド)を設計する
- 「人件費の総額計画」を経営と合わせて作る
- 明日からできる3つのこと
- 1. 自社の「人件費総額/売上高比率」を計算する(所要時間:30分)
- 2. 「市場データ」を一つ取得する(所要時間:半日〜1日)
- 3. 「同じ等級なのに給与差が大きい人」をリストアップして原因を調べる(所要時間:2〜3時間)
- まとめ:報酬は「経営と人事の共通言語」
- もっと深く学びたい方へ
報酬設計の「基本の考え方」を持っていないと、人件費は膨張し続ける
「給与の不満が多くて、どうしたらいいかわからない」「採用を強化したいが、競合と比べて給与水準が低い気がする」「優秀な人ほど転職してしまう。給与が理由なのか?」——報酬にまつわる悩みは、人事の中でも特に「どこから手をつければいいかわからない」テーマの一つではないでしょうか。
報酬設計は専門性が高く、「人事の中でも報酬専門家がいる」という話をよく聞きます。でも、専門家でなくても「報酬の基本的な考え方」を持っておくことは、どんな人事にとっても重要です。
ある中堅メーカーの人事担当者が、こんな経験を話してくれました。「エンジニア採用が全然うまくいかなくて、理由を調べたら給与水準が市場の70%程度だったことがわかった。経営に改善を提案したとき、まず"うちの人件費総額が売上の何%か"を示した。業界平均が20%前後のところ、うちは14%だった。この数字を出したことで、経営が"投資余地がある"と判断してくれた。給与レンジを見直したら、翌期のエンジニア採用充足率が60%から85%に上がった」と。報酬は感情論ではなく、数字で語ることが変化を生むと学んだ、と話してくれました。
今日は、報酬設計の基本的な考え方と、経営と連動させるポイントについて一緒に考えてみたいと思います。
報酬設計がなぜ難しいのか
「給与を上げれば解決する」わけではない
報酬への不満が高まると、「給与を上げれば解決する」と思いがちです。でも給与を上げることが常に正解かというと、そうとも限りません。
給与を上げても、「公平感がない(なぜあの人とこの人がこれだけ差があるのか)」という問題が解決しなければ、不満はなくなりません。「給与水準」の問題と「給与の公平性・納得感」の問題は別の話です。
ハーズバーグの動機付け・衛生理論では、「給与は衛生要因であり、不満の除去にはなるが、満足感や動機付けには直結しない」とされています。「給与が低すぎると問題だが、給与を上げるだけでは人は動機づけられない」という理解が、報酬設計の出発点です。
また、給与を上げることは人件費の増加を意味します。事業が成長していれば問題ないですが、事業の成長と関係なく給与だけが上がり続けると、経営を圧迫する可能性があります。「人件費管理と人事戦略の連動」が必要なゆえんです。
「市場競争力」と「社内公平性」のバランス
報酬設計の根本的な難しさは、「外部市場との競争力(市場水準に合っているか)」と「社内の公平性(貢献度・役割に応じた格差になっているか)」のバランスを取ることです。
市場水準に合わせすぎると「社内の高齢社員の給与水準が低い」という問題が出ることがある。社内公平性を重視しすぎると「外部から良い人材を採用できない」という問題が出ることがある。どちらか一方だけを追い求めることが難しい、というのが報酬設計の難しさです。
この緊張関係は永遠に解消されません。だからこそ「今の自社の優先課題は何か」(採用競争力を高めたいのか、社内公平性を高めたいのか)を明確にし、「今期はここに集中する」という判断が必要です。
「制度」と「運用」の両方が必要
報酬設計は「制度を作ること」と「運用すること」の両方が必要です。どんなに良い報酬制度を設計しても、「評価が正確でない」「昇給・降給の運用が適切でない」では、制度は機能しません。
報酬設計と評価制度の設計は密接に連動しています。評価の精度を上げずに報酬制度だけ変えても、「結局誰の給与が上がるかは変わらない」という状態になりやすいです。「報酬制度の改善」と「評価制度の改善」はセットで取り組む必要があります。
よくある失敗パターン
失敗パターン1:人件費の「総額管理」ができていない
各部署・個人の給与の管理はできていても、「会社全体の人件費が経営計画に対してどのくらいか」という総額管理ができていないパターンです。
事業部が「この人が欲しい」と言うまま採用を進めると、人件費が予算を超えて膨張することがあります。特に成長期の企業では、採用が先行して人件費比率が急増し、気がついたら黒字転換が遠のいた、という事態が起きることがあります。
「採用はビジネスの言語で語る」——採用・報酬の意思決定には、必ず「人件費総額の視点」が必要です。個別の給与決定が積み重なって、気がついたら経営を圧迫している——という事態を防ぐために、「人件費の総額計画と実績管理」を人事が担う必要があります。
失敗パターン2:「横並び」の昇給で差がつかない
「全員一律〇%昇給」という運用が続いていると、「頑張っている人も頑張っていない人も同じ昇給額」という状況になります。これは長期的に「高業績者の離職」を引き起こすリスクがあります。
報酬は「メッセージ」です。「どんな貢献を評価するか」「どんな人材を大切にするか」が報酬の設計に表れます。「横並び文化」が根強い組織では、この変革が最も難しい部分の一つです。
「高業績者の1人分の給与を適切に高めることで得られる貢献の増加」と、「高業績者が離職した場合の採用・教育コスト(1人あたり100〜200万円)」を比較すると、「業績に応じた昇給への投資」は理にかなっています。
失敗パターン3:「等級制度がないまま報酬を決めている」
等級制度(職位・グレード)がないまま、「この人にはいくら払うか」を個別に決めているパターンです。これが続くと、「同じような仕事をしているのに給与が全然違う」という不公平感が生まれやすくなります。
「採用時の交渉力」や「入社年度の市場環境の違い」によって給与が決まっている企業では、同じ役割・同じ業績なのに給与が数十万円違うという状況が珍しくありません。これが明らかになると、組織への信頼が大きく下がります。
プロの人事はこう考える:報酬設計の基本
「役割(ジョブ)」か「人(メンバーシップ)」かを明確にする
報酬設計の最初の問いは、「何に対して報酬を払うのか」です。
ジョブ型(役割・職務基準):「この役職・職務にはこのくらいの給与レンジ」という考え方。役割の重さで報酬が決まる。ジョブチェンジがなければ給与は上がりにくい。
メンバーシップ型(人・能力基準):「この人の能力・経験・年次ではこのくらいの給与」という考え方。能力・経験の成長で報酬が上がる。日本の多くの企業がこちら。
どちらが正解かは自社の事業・文化によります。ただし、「どちらの考え方に基づいているか」を明確にすることが、報酬設計の出発点です。「なんとなく決まってきた」という状態から脱することが、公平性と透明性を高める第一歩です。
「市場データ」を持ちながら、「社内公平性」を設計する
報酬設計では、外部の市場データ(給与調査データ)と社内の公平性の両方を考慮することが必要です。
まず、自社と同程度の規模・業種の企業の給与水準を調べる(給与調査データを購入する、または公開されているデータを活用する)。そして自社の給与水準が市場比でどのポジションにあるかを把握する。「採用競合と比べて市場中央値の90%程度」「高い専門性が必要な職種は市場中央値の110%」——こういったポジショニングを意識的に設計することが大切です。
「経営数字からの発想×組織状況からの発想=両利きの人事」という考え方があります。報酬設計においても、「市場競争力(外部の視点)」と「社内公平性・人件費管理(内部の視点)」の両方から考えることが必要です。
給与レンジ(バンド)を設計する
等級ごとに「最低〇〇万円〜最高〇〇万円」という給与レンジを設計することで、「この等級の人はこのくらいの給与範囲」という公平性の枠組みができます。
給与レンジを設計する際のポイント:
- 等級間の給与レンジに適切な重複を設ける(下の等級の上限が上の等級の下限を超える程度)
- 等級内で「低評価は下限寄り、高評価は上限寄り」になるようにする
- 定期的に市場データと比較し、レンジを更新する
給与レンジを持つことで、「この人の給与は適切なレンジ内か」「このレンジの上限に近づいている人をどう対処するか(昇格・横移動・特別手当)」という議論ができるようになります。感覚的な給与決定から、根拠のある給与決定へと変わります。
「人件費の総額計画」を経営と合わせて作る
人事の仕事として「人件費の総額計画」を経営と一緒に作ることも重要です。
「来期の事業計画達成のために何人の人員が必要か」「その人件費総額は今期の人件費から何%増になるか」「売上対人件費比率の目標は何%か」——こういった数字を人事が把握し、経営と議論できることが「経営に参画できる人事」の条件の一つです。
業種によりますが、サービス業では売上の30〜40%、製造業では15〜25%が人件費比率の目安として使われることがあります。「自社はどのくらいが適切か」という問いを経営と持つことが、「人件費を感覚で決める」状態からの脱却につながります。
明日からできる3つのこと
1. 自社の「人件費総額/売上高比率」を計算する(所要時間:30分)
まず自社の人件費が売上に対してどのくらいの割合かを計算してみましょう。「売上高人件費比率」は業種によって目安が違いますが、「今の比率が経営計画に対して合理的かどうか」を経営と対話するための出発点になります。
計算後は、「同業種の平均的な比率」(業界レポートや公開情報から調べる)と比較してみましょう。「市場より低い」なら採用・定着への投資余地がある。「市場より高い」なら生産性改善の余地がある——という仮説が生まれます。この仮説を経営に持っていくことが、報酬・人件費の議論を「感覚」から「数字」にする第一歩です。
2. 「市場データ」を一つ取得する(所要時間:半日〜1日)
公開されている給与調査レポート(リクルートなどの給与調査、国税庁の民間給与実態統計など)を一つ入手して、「自社の給与水準は市場比でどのポジションか」を確認してみましょう。「市場より低い」「高い」という事実を把握することが改善の出発点です。
調査データと自社データを比較する際は、「全社平均」だけでなく「職種別・等級別」で比較することが大切です。「全体平均は市場並みだが、エンジニア職は市場より20%低い」という部分的な問題が、採用・離職の課題と結びついていることがあります。この粒度での分析が、「どこに手を打つべきか」を明確にします。
3. 「同じ等級なのに給与差が大きい人」をリストアップして原因を調べる(所要時間:2〜3時間)
同じ等級・同程度の経験年数なのに給与に大きな差がある人のリストを作り、「なぜその差があるのか」を確認してみましょう。「合理的な理由がある差」なのか「歴史的な経緯だけで説明できない差」なのかを把握することが、社内公平性の改善につながります。
「この差の理由を社員本人に聞かれたとき、合理的に説明できるか」というテストをしてみましょう。説明できない差がある場合は、是正計画を立てる必要があります。一度に全部是正しようとすると費用が大きくなるため、「是正の優先順位(リスクの高い差から)」と「是正のスピード(数年かけて段階的に)」を決めることが現実的な進め方です。
まとめ:報酬は「経営と人事の共通言語」
報酬設計は、「人の問題」であり「経営の問題」でもあります。
「施策の効果は売上伸長・コスト削減・リスク低減の3つで整理する」という考え方があります。報酬設計も「優秀人材の定着→売上貢献」「人件費の適正化→コスト削減」「給与の不公平感の解消→離職リスク低減」という形で整理することで、経営との対話ができるようになります。
報酬の専門家でなくても、「基本の考え方」を持ち、「経営と対話できる」ことが人事プロとしての大切な力だと思っています。市場データ・人件費比率・給与レンジ——この3つを使いこなせるようになるだけで、報酬に関する経営との対話の質が大きく変わります。
もっと深く学びたい方へ
報酬設計・人件費管理を体系的に学びたい方には、「人事のプロ実践講座」がお役に立てるかもしれません。
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吉田洋介
人事図書館 代表 / 著書『「人事のプロ」はこう動く』
リクルートマネジメントソリューションズで14年間・500社以上の組織人事コンサルティングに従事。 上海駐在を経て2021年に独立。2024年に人事図書館を設立(会員740名超)。 「すべての組織に人事のプロを」を理念に、経営と現場をつなぐ人事の実践知を発信している。
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